戦乱の時代。そのようなご時世に一服の茶をすすることに終始した利休さん、「政」とのはざまでどんなことを感じ考えてたのかなぁ、と。
陰暦二月二十八日は、千利休切腹の日。実際にはおおよそひとつき遅れの自刀の頃は暖かい桜の頃だったのかな。武士でもないのに切腹。やはり想像するとちょっと切なくなります。
昨夜は所用を終えて、抹茶を頂くにはちょっと遅いかな、と思いつつ、一人利休忌。ともは鶴屋吉信の京観世。濃茶がなかったので薄茶を濃いめに点てました。きめのこまかい泡に覆われた抹茶、ほんと美味しい。
また昨日は「忌」ごと、ケガレごとと感じるのですが、民俗学でいうところの広義ではハレかケガレかの考え方も別れるところでもあるようで…。とても悩んだのですが、個人的には「利休忌」はケガレとハレの混在気分、利休さんを偲びハレとケガレを行ったり来たり、が一番しっくりくるように思います。そんな訳で昨夜は新しい数穂をおろしてみました。穂数によって茶筅にも色々と呼び名がありますが、薄茶はやはり揃った穂数の豊かな茶筅が点てやすい~。
流派によっては薄茶をあまり泡立てないということもあるようですが、私は泡派です♪。
コメント